とある被写体の超電磁砲
ある意味では気持ちの悪い話題だ。
先日、とあるずーっと撮り続けてる被写体さんから「あなた専属の被写体ですが、何か?」と言ってもらえて嬉しかったことがあった。他のカメラマンからのお誘いなどは拒否しているような状況で、個人的には友好関係と信頼関係の上で成り立って写ってもらってるのだなと再確認してシミジミ嬉しいなと感じる。
そう言ってもらう前から、自分が彼女を一番うまく撮れるようにと色々試行錯誤してカメラもレンズも馬鹿みたいに投資した時期があった、プリセットも100ではきかない数を作ったのも事実で、それもそのはずで”たられば”の話をするなら、彼女がいなければここまでポートレートの界隈にいることもなかっただろうという事実だ。
語弊があると悲しいが、テストであり本番というトライアンドエラーを「写真が本当に好きな人」と一緒に行えたのは、完全に彼女がいなければなしえなかったの事なので、感謝しかない。さらにいうとカメレオンタイプで色々な服装や化粧、雰囲気に全対応できるという”白”の方だったのも大きな理由だと思われる。
ここ最近、そこまで活発にポートレートのスケジュールがあるわけでもない。昔は週1で募集してたりXも使ったりして、月に数本は必ず撮影が入ってたのだが今は月に0ということもある。
とある写真家さんの動画をみていたら、すごく共感したことがあった。「他のカメラマンが撮っている被写体さん、あるいは多くの方に撮られている人は面白くない」と。僕はここまで強い言葉で言える実力も度胸もないので、やんわりしているが話の本質はこうだ。「多くのカメラマンに撮られている人は、イメージがついてしまっているので、他のカメラマンが撮った被写体さんの雰囲気に寄せていってしまう。例えばクール系ばかりやってる方はどうしてもクールに撮ってしまう」「多くのカメラマンに撮られている場合は、ポーズなどが完成してしまっているので、同じものが量産されやすい」
確かになとどうしようもなく共感してしまった。思い返せば、僕は特定の被写体さんに「⚪︎⚪︎さん、ダーク系ばっかりだから、逆に綺麗めで撮ってみようよ」とかその逆を言い放ったことは数多い(失礼)。
イメージ的には「被写体をたくさんしている人のピースポーズは完璧なピース。でも撮りたい写真は、折れ曲がった照れが残るピースポーズ」みたいなものになるだろう。
冒頭の専属被写体さんと言ってくれた方はどうだろうか。逆に僕が作ってしまった被写体像を押し付けてしまっているようにも感じる。そうなると被写体さん側に面白みがないのではないなかと思ってしまったり、最近では撮影体験の方の楽しみというのも与えているのか心配になる始末。
来年は、被写体さんではなく一般の方に声かけてみようかなという茨の道を少し考えてる。求めるものは綺麗なピースではなく不恰好なピース。
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