撮影は、センシティブです
絶対怒られる話題と考え方なんですが、最近よく「撮影は魂のセッションだ」「撮影は試合だ」みたいなことが流れまくってくるので個人的には、違和感あるなぁと感じている。
※以下、割とクズめな撮影者の個人的思想の暴風なので注意
語弊を恐れずにいうなら、撮影は性行為や愛情表現ににぶっちゃけ近い。すごい感覚的なものでなかなか言語化しにくいが、僕らは女性を主に撮る。それは「美しいもの」と「心が動くもの」として定義した被写体を撮影したいと思うカメラマンのエゴでもあり当たり前の欲求だと思う。たまにポトレカメラマン♂って女性しか撮らないゴミ出会い厨乙みたいなことも言われるが、個人的には声を大にして言いたい。
野郎撮って何が楽しいんじゃ。と
僕でいうと、超イケオジ(自他じゃなくて僕が認める)しか撮りたくない。メンズだと。でもそういうことで、どこにセンサーがあってそのセンサーに引っかかるでしかないのだと思います。被写体ということ自体。
先述した「撮影は性行為や愛情表現ににぶっちゃけ近い」という有名カメラマンなら炎上必至の話ですが、そういう意味で自分が被写体に持ってくる方というのは、センサーにガッツリ引っかかった理想の「美しい対象」「心が動く対象」なわけで、ワンちゃん恋心と似ているとまで思ってます(きもい)。
特にヌードやグラビア撮影をしていると感じるが、彼氏・家族でもないのに肌を晒していただいているわけです。んなアホな状況と、素になると大変おかしいことだとわかります。普通なことではないですよね。そうなんです、ぶっちゃけ異常なことなのでだからこそ大きな責任が僕らには伴うと思っています。
そこまでの覚悟や信頼を預けられているわけですから、誰でもバッチこい!という方は置いておいて、下手すれば彼氏彼女よりも瞬間最大風速で責任が発生すると考えてます。なので、性行為や愛情表現に近いと表したわけですが、それとは別に心の問題もあります。
本音の話、被写体さんにヌードやグラビアを頼むのは100%気が引けます。撮りたい作風に協力してほしいという言葉は同じですが、圧倒的高い壁がそこにはあります。ただ、撮りたい。わがままですね。
で、肌色関連の話ばかりになってしまったのは、例が分かりやすいからです。通常のポートレートがそうでないかというと、またこれもそうだと思っています。「良い」「美しい」「この人がいい」「人間的に好き」「心がうごく」と言葉にすれば陳腐なものですが、自分がそう思える被写体さんを撮っている間は、大好きであることは大小あれ事実としてあると思ってますし、そうでなければいいものは納得できるものは撮れない可能性すらあるかと思っています。
長々と綴りましたが、要約すると「自分が良いと思ってる対象を撮ってるんだから、愛だの恋だの測りにくい言葉と同列ぐらいの”何か”は持ってて、それが人によっては愛じゃんと言われるかもしれないぐらいの感覚と責任は持ち得ている」って感じかと思います。そこには僕がよく言葉にする関係値ももちろんあります。初回の人にそんな気持ちがあるかと言えば聖人ではないので、ないです。
ちなみに僕は被写体さん全員にこんなこと思いません(言ってること違う
実はこれは本当はもっともっと感情的(愛や友情や、他の情)で大きな話です。そして僕はそれを言語化することはおそらく一生できないと思っていますが、氷山の一角を表すとこういう話になるということです。
あ、自分ヌード撮ってる時、EDなんで安全人間です(保険)
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